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ヘビーゲーマーと萌えのジレンマ

萌えアニメについての富野御大の発言がネットで盛り上がっている模様!
でもだいぶ古い雑誌内のこめんとのようです。


オタク向け萌えアニメが量産されている

個人的に今年の夏ごろから、アニメを見ようとして、いろいろ見たのだけれども正直萌えアニメは娯楽として間口が本当に狭くなっていて、自分には心から楽しめる作品は少ない。
萌えに偏るのは正直わかる。グッズやCDなど周辺のビジネスが広げやすく、製作資金を回収しやすいから。
いわゆるアニメオタク向けしか作られないのはアニメオタク以外お金をアニメに対して落とさないからだろう。


この問題を解決するには視野を広くする必要がある。
アニメは娯楽産業の一部であり、ゲームも同様だ。
アニメ好きはアニメ産業にお金を落とす、ゲーム好きはゲーム産業にお金を落とす。
アニメ製作者は、アニメという娯楽が他の娯楽より面白いということを証明してみなければいけない。
そうしなければ、アニメに落ちるお金は減り衰退する。
ゲームも同様だ。
たくさんの人にアニメが娯楽として認められれば自然とアニメを楽しむ人は増え、製作者も潤う。


アニメというのは虚構が描写できる。
でも、ゲームが三次元になって大して面白くなっていないように、どれだけ精密な虚構を築いたとしても、本質的に面白いことは虚構の中に現実味を感じてしまうときなんじゃないかな。

物語の中に感情移入させるためには、現実的な何かを虚構の中に作るしかない。

そしてそれこそがとても難しい。
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テーマ : 管理人日記
ジャンル : アニメ・コミック

西尾維新の成功と失敗

戯曲と小説の違い、それは過剰さにあるという考察をエントリーで述べたのだけれど、それを踏まえて西尾維新という小説家を考察したい。


西尾維新の成功と失敗
成功とは言うまでもなく化物語、失敗はめだかボックスのことだ。

前者は西尾維新原作で最近アニメ化された。
後者は西尾維新原作で最近漫画化された。

成功と失敗は大きな差が有るのだけれど作品の印象はそれほど違わない。
成功の是非はアニメと漫画の性質の違いと言い切っていいだろう。
西尾維新はアニメには向いているけれど漫画には向いていない。

西尾維新の作品はまず、キャラの魅力ありきだ。過剰な性格をもった特異なキャラクターの魅力で全てを打開していく姿勢。
アニメの場合、その過剰なキャラクターはアニメーションと声優によって補強され成立する。
しかし漫画の場合は、字だけでは過剰さが演出しきれず、面白くならない。文章の過剰さに絵が釣り合わず不自然な印象しか残らず退屈。


司馬遼太郎の賛否
西尾維新と司馬遼太郎は本質的に非常に似通っていると思う。
人物の個性を中心に書くという物語の構成が完全に同じだから。
西尾維新も司馬遼太郎も小説家として高く評価するのはかなり違和感がある。

両者は正統な小説家ではないという印象の理由。
登場人物の緻密な内面描写やよく練られたプロットは少ない。
世界に対して多大な影響を与える、個性的だが奥行きを感じさせない人物たちは妙に小物なかんじ。

結局のところ、西尾維新も司馬遼太郎も小説家というよりは小説という劇場の中での戯曲家という評価が妥当だろう。

僕は両者とも好きだけど、西尾維新を小説家として評価したくないアンチのかたがたの気持ちも正直すげーわかる。小説家ぽくないからなあ。

テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

声優という存在について考える

エヴァンゲリオン破、カブトボーグという二つのアニメを楽しく観た。

どちらのアニメも声優の存在感が楽しむ上で大きく、改めて声優という存在について考えてみたくなった。


漫画とアニメの違い

漫画とアニメは似ているけれども全く違うものだということに気づいた。
文芸でいえば、それは小説と戯曲の違いに似ている。

漫画と小説にはなくて、アニメや戯曲にあるものは人間の肉体性だ。
声という生身の力により、アニメのキャラクターは強化されうるし、戯曲も人間の役者が演じるために存在する。
そしてその肉体は基本的に大袈裟だ。
アニメの声優は一般的に過剰なまでに役柄を演じるし、役者の顔は必要以上に濃い顔になる。
過剰な肉体性こそが、アニメや戯曲の魅力のひとつであるのは事実だろう。


過剰でない普通の声優は叩かれる

最近は邦画洋画問わず、タレントの声優起用は少なくない。
特にジブリは有名。
僕も多くのアニメファン同様、タレントの吹き替えは正直好きじゃない。
舞台と観客、テレビと視聴者という距離を埋め合わせるのに過剰さは必要なのだ。
過剰さが嫌なら、小説や漫画の世界に行くべきだ。


過剰さの過剰さ
とはいうものの萌えアニメや萌えゲームの氾濫している現状を見る限り、以前は物語を作りキャラクターを作るという順序だったのだけれど、今はキャラクターを作りそれから物語を作るという手順に変わったようだ。

話をエヴァ破とカブトボーグに戻す。
エヴァ破は、映像演出が優れており、カブトボーグはシナリオがぬきんでていて、その上で声優が生きていた。
声優の力だけで成立している面白さとはやはり言いがたい。
声優という肉体性(萌え)を軸に、ゲームもアニメも再生産を続けてもそれは縮小していくしかない気がする。

今、精神はどこへ向かっているの?

テーマ : 日記
ジャンル : アニメ・コミック

最近見てよかったアニメまとめ

この3ヶ月ほど、アニメをかなり見た。
新作だけではないけれど、見所があると感じた作品は

・紅
・懺絶望先生
・化物語
・蒼天航路
・カブトボーグ new!

ぐらいかな。
紅はアニメーションの動き方がすごい好きだ。かくかくしてるんだけど滑らかって言うか、アニメの技術的な言葉について何も知らないから言葉では適切に表現出来ないことが残念だ。
世界設定はあんま好きじゃない。主人公がなぜか強くて、ハーレムってパターンは主人公が強烈な個性もっていないと成立しなくて感情移入できなくなってしまう。

シャフトの映像は攻めていて良い。絶望先生も化物語も、コストをかける部分がほかのアニメと一線を画していて、前衛的であり、アニメ界のエリート?みたいな印象を受ける。今後もシャフトの作品はチェックすると思う。化物語の映像を見て、エヴァンゲリオンを思い出した。テレビアニメの15年前に見たアニメの繊細で新鮮な感じに最も近い感覚を化物語からは受けたけれど、表層的な感覚に留まっている。感覚を貫き、視聴者の感情まで届く作品をシャフトが作ることを期待させる内容だった。

蒼天航路は、ハイテンションがいいな。突き抜けてめちゃくちゃやったるっていう、姿勢に素直に好感を持ってしまった。ミスター味っことかそういう路線だけども。暗くても明るくてもなんでも、テンションだけで面白いというのは、ダウンタウンを引き合いに出すまでもなく事実だろうし、どんなジャンルでも普遍かと。紅やシャフトに比べれば洗練されてないんだけど、そのもっさりしたところもテンションでなんか許せてしまうんだよなあ。

カブトボーグはやばい面白さだ。玩具販促アニメの反則技。チャー研、そわかちゃんぽい。アニメの規定の約束事をぶち壊すことによる面白さ。子供目線に全くあわせようとしない大人の傲慢なアニメ。主人公の10歳が余りに非常識的過ぎる。紅の主人公と対比すると、カブトボーグの主人公がどれほど優れているのかが分かる。強烈なエゴをもっていて自己中心的、周りに期待される行動をことごとく踏み外す、それでいて凶悪な強さを誇る。強烈なエゴをもつ極悪な主人公の作品こそ結構需要ありそうな気がするんだけどな。

テーマ : アニメ
ジャンル : アニメ・コミック

プロフィール
好きなもの ゲーム、漫画、音楽、小説、日本、南米、ロシア、戦争、明治維新、戦国時代

夢念

Author:夢念
よつばは、むてきだ。

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