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タクティクスオウガ 考察

タクティクスオウガタクティクスオウガ
(1997/09/25)
PlayStation

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うーん、名作ゲーム。
昨日の欠点はあるが、名作であり語りたくなる要素が非常に多いゲームだと思ったのでなんとなく書いてみたい。

実際のユーゴスラビア紛争を元にした重厚のある物語。洗練されたシステム。印象的であくどいキャラクター。

欠点はいくつかあると思う。
ゲームバランス自体は余り取れていない。さして、敵のAIのクォリティも高くない。

何故このゲームを語りたくなってしまうのだろうか。
深刻な物語だ。同胞の虐殺を民族の大義名分の為に強要される。最も信頼できそうな騎士は廃人になる。そして、唯一の家族である姉は完全に精神的に病んでいる。

病んでいる姉、カチュア・パウエルの造形は、勿論タクティクスオウガの魅力を成す一要素でしかない。けれども、このキャラクターの存在感は非常に大きい。カチュアを好きであれ嫌いであれ、楽しむことが出来なくては、タクティクスオウガを楽しむことはおそらく出来ない。魅力の鍵はカチュアの手に握られているといっても過言ではない。

カチュアは、非常に迷惑な存在だ。
様々な災厄をプレイヤーにぶちかます。
カチュアは、民族をほっぽりだして、逃げ出すことをプレイヤーに主張する。あげくのはて、非常に難しい選択肢をかいくぐらなければ仲間に出来ない。仲間になった後も、ヒステリー気味であることは否めない。
発酵女と、作曲担当者になづけられるように、薄幸で発酵している。
プレイヤーに一方的に萌える腐女子と換言してもいいかもしれない。

カチュアは普通の庶民として育てられて、普通の暮らしがしたい。争いごとや名誉欲などなく、弟と静かな暮らしを望む。この願望は、民族紛争に住む小市民としては非常に説得力のあるキャラクターだ。自然な願望を持つキャラクターになぜこれほど不快感を覚えるのだろうか。

それは当然、プレイヤーはゲームとして物語を遊んでいるからだ。ゲームの世界では、キャラクターは英雄的行為を行うために普通は設計されている。カチュアは、ゲームの主要キャラクターとしてふさわしくない性格をしている。だがそれに振り回されることに多くの人は快楽の種を見つける。苦味があるにせよ。

カチュアの性格、そして1995年。この二つを考えるとエヴァンゲリオンの主人公がいやがおうにも、頭に浮かぶ。
碇シンジも、カチュアと同じぐらいの嫌われ者であった。
両方とも同じ条件を備えている。
ロボットに乗るのに相応しくない、普通の少年が人類の命運を背負わされ、プレッシャーに押しつぶされそうになる物語のエヴァ。

両者にいえることは、プレイヤーは距離があるがゆえに、戦争や戦闘、修羅場といったものを楽しめる。当事者では楽しめない。これはよくかんがえれば当たり前のことなのか。
修羅場をリアルにすればするほど、アニメやゲームの中の主人公は苦難に苦しみ病み、プレイヤーに嫌われることになる。なんという悲惨さ。むごい。

リアルでありすぎる必要があるのかないのか。これは難しい問題だ。
地上波デジタルの映像がリアルすぎて不愉快なことをふと思い出した。
アニメの映像はデジタル放送でリアルであったとしても、それほど不愉快じゃないのだが。

テーマ : ゲーム
ジャンル : ゲーム

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Author:夢念
よつばは、むてきだ。

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