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声優という存在について考える

エヴァンゲリオン破、カブトボーグという二つのアニメを楽しく観た。

どちらのアニメも声優の存在感が楽しむ上で大きく、改めて声優という存在について考えてみたくなった。


漫画とアニメの違い

漫画とアニメは似ているけれども全く違うものだということに気づいた。
文芸でいえば、それは小説と戯曲の違いに似ている。

漫画と小説にはなくて、アニメや戯曲にあるものは人間の肉体性だ。
声という生身の力により、アニメのキャラクターは強化されうるし、戯曲も人間の役者が演じるために存在する。
そしてその肉体は基本的に大袈裟だ。
アニメの声優は一般的に過剰なまでに役柄を演じるし、役者の顔は必要以上に濃い顔になる。
過剰な肉体性こそが、アニメや戯曲の魅力のひとつであるのは事実だろう。


過剰でない普通の声優は叩かれる

最近は邦画洋画問わず、タレントの声優起用は少なくない。
特にジブリは有名。
僕も多くのアニメファン同様、タレントの吹き替えは正直好きじゃない。
舞台と観客、テレビと視聴者という距離を埋め合わせるのに過剰さは必要なのだ。
過剰さが嫌なら、小説や漫画の世界に行くべきだ。


過剰さの過剰さ
とはいうものの萌えアニメや萌えゲームの氾濫している現状を見る限り、以前は物語を作りキャラクターを作るという順序だったのだけれど、今はキャラクターを作りそれから物語を作るという手順に変わったようだ。

話をエヴァ破とカブトボーグに戻す。
エヴァ破は、映像演出が優れており、カブトボーグはシナリオがぬきんでていて、その上で声優が生きていた。
声優の力だけで成立している面白さとはやはり言いがたい。
声優という肉体性(萌え)を軸に、ゲームもアニメも再生産を続けてもそれは縮小していくしかない気がする。

今、精神はどこへ向かっているの?

テーマ : 日記
ジャンル : アニメ・コミック

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好きなもの ゲーム、漫画、音楽、小説、日本、南米、ロシア、戦争、明治維新、戦国時代

夢念

Author:夢念
よつばは、むてきだ。

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