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先生怖い

僕が小学生だった20年前、僕にとっても同級生にとっても、小学校の先生は恐怖の対象だった。
ディケンズの小説を読みながらその時の感情がふいに蘇った。

特別僕が酷い先生に巡り合ったとか、暴力を振るわれたとかそういうことが別に言いたいわけじゃない。
大人になった今は学校の先生を見て恐怖することはないけれど、当時は本当に怖かった。

恐怖と暴力
恐怖と暴力は同居することはあるけれど、同じではない。
小学生を教育するにあたり暴力は禁止されるべきで、恐怖は積極的に活用すべきだという気がする。
これは、国家の世界でも同じだろう。
核兵器という究極の暴力は禁止されるべきだ。けれど、現実的に核兵器の恐怖によってこそ先進諸国に平和という果実がもたらされているように見えるからだ。

日本全国の小学校が荒れているようだ。
荒れているということはつまり暴力が氾濫しているわけだ。
今こそ積極的に恐怖を活用する時なのではないだろうか。


正しい恐怖の使用法

恐怖を相手を与えるにあたり、最も簡単な手段は怒ることだ。
怒るという行為に、優劣があるならそれは何で決まるのだろうか。
怒りを恐怖にのみ転換し、暴力に転換しない怒り方こそ最良の怒り方なんじゃないだろうか。
核兵器の恐怖と同様、制御されている事が最も大切。
Anger is a giftは言い過ぎにしても、
怒りは暴力を避けるための盾として、昔から使われてきた有用なものだと思う。

小学生でない今、自分が怒られた先生を褒めてもそれは年寄りの追憶に過ぎない。
だけれども怖い先生こそ、良い先生だったという印象は残る。
かつて、怖いという評判はある種の名誉ですらあったかもしれない。



たまには恐怖という感情の積極的な活用も、考えてはいいのではないのだろうか。

テーマ : ひとりごとのようなもの
ジャンル : 日記

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好きなもの ゲーム、漫画、音楽、小説、日本、南米、ロシア、戦争、明治維新、戦国時代

夢念

Author:夢念
よつばは、むてきだ。

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